名古屋をめぐる英傑。〈織田信長〉ゆかりの地を歩く
名古屋地名の由来を歩く【英傑のふるさとを訪ねる①】
清洲を訪ねる
信長が清洲城を落とし居城したのは弘治元年(1555)のことである。ここはもともと清須織田氏の守護代が居城していた場所で、いわば尾張国支配の要となる地点であった。
名鉄名古屋本線の新清洲駅(清須市)で降りて少し歩くと五条川に出る。そこを左手に歩いていくと、川向こうにややけばけばしい感じの清洲城が目に入る。これは平成元年(1989)に復元再建されたコンクリート製のもので、実際の場所は川の手前の清洲公園であったらしい。
公園の林の中に信長公の立派な銅像が建っている。この銅像の目は桶狭間の方向を見ているといわれている。信長はこの清洲に居城して5年後の永禄3年(1560)、この地から出陣し、見事今川義元を討ち果たしたのである。